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お知らせ

ヒカリネッツからのお知らせ

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2021年04月28日

お知らせ

マージン率等のインターネット上での情報提供

2021年4月1日より、マージン率等の情報を、インターネット上で提供することが原則とされました。
ヒカリネッツでは、厚生労働省の「人材サービス総合サイト」において、マージン率の情報を開示しています。

「人材サービス総合サイト」で検索し、情報のページよりご覧ください。

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2021年04月19日

ブログ

初めの一歩。

221年前の今日、伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」という日本国土を実測で測った地図を作成するきっかけとなる、現在の北海道沿岸への測量に出発した日です。
伊能忠敬は、勤勉な子供だったそうです。千葉県の佐原村(現 香取市)で酒造業などを営む「伊能家」に17歳で婿養子に入り、家督を継いで商才を発揮し、資産を蓄えました。
お金の使い方には細かかったそうですが、天明の大飢饉のときには多くの村人を救済し、佐原村からは一人も餓死者を出さなかったそうです。
50歳になった忠敬は、家督を長男に譲り、上京して大好きな天文暦学を「髙橋至時」に学びます。
正確な暦を知るためには、地球の大きさ、日本の大きさを知る必要があり、そのためには正確な子午線一度を計測する必要があると考えた忠敬の思いは、北海道沿岸を計測する国の事業(ロシアへの対策)として実現しました。
この旅に出たとき、忠敬は55歳。
測量方法は特別なものではなく、一点からもう一点に竹の先に房がついた目印を伸ばし、距離と角度を地道に計測。星の位置からの角度や距離でずれを修正するというもの。
気の遠くなるような作業ですね!忠敬の根気強さがわかります。
その後日本全土の沿岸部を、72歳までの17年をかけて10回の測量を行い、地図を完成させた伊能忠敬。実際に地図が完成したのは、忠敬の死後だったそうです。
しかも、開国前の日本はこの地図を国家機密として扱い、40年間公表されることはありませんでした。
精度の高さが世界に評価された伊能忠敬の技術。しかし忠敬はこの偉業を「名誉のためではない。自然天命である。」と言いました。
「人間夢を持ち、前へ歩き続ける限り、余生はいらない。」
純粋な探求心で歩き続けた伊能忠敬。初めの一歩はどんな思いで踏みしめたでしょうか。